






カンボジア観光ブログアクティビティ

ベンメリア遺跡ツアー
今日はシェムリアップ町から東北へ約62km車の1時間半ぐらいに天空の城ラピュタのモデルと言われるベンメリア遺跡を紹介致します。。ベンメリアはヒンドゥー教寺院です。この遺跡はアンコールワット建造前の11世紀末から12世紀初頭までに平面展開型の寺院構成で作られたとされます。創建年代を明らかにする碑文はありません。この寺院の規模は少し小さいですが、アンコールワットと類似点が多く 東のアンコールと呼ばれます。往時この地はこれら東西の大 寺院、 北西のクーレン山、 北東 のコー・ケーへ向かう交通の要 衝として繁栄しました。クーレン山南東の採掘場に 近く、 良質な砂岩でていねいに 造営されたベン・メリアは「花 束の池」という意味をもち、三 重の回廊、 十字型の中庭などの 伽藍配置をとります。 環濠の幅約 45m、 周囲約4.2km と規模は少 がらんし小さいです。東参道が大規模な貯水池に延び る配置形式や細部装飾などをア ンコールワットと比べてみる とおもしろいです。遺跡は深い森の中に埋もれて おり、崩壊が進んでいるため歩 ける範囲も限られています。 苔む した屋根の上を歩き、 光の届か ない回廊の中をたどる場所もあ り、 探検気分が味わえるととも に、遺跡発見当時の姿を目のあ

アンコール二大遺跡探訪(アンコールワットとバイヨン遺跡)
アンコール二大探訪 神々の世界から菩薩の居城へ。 外観もコンプセフトも異なる ふたつの遺跡に花開いたアメコール文明。 壮大なドラマの扉を今、開きます。 世界文化遺産のひとつとして 知られるアンコール・ワットは、今 から約150年前にはその存在を 知る人すらいなかった。フラン ス人博物学者アンリ・ムオが再 発見するまで、密林の奥深くに 眠り続けていたのであります。実は、 この巨大寺院群を有したクメー ・ル王国はインドシナ半島の大部 分とマレー半島の一部まで領土 としたこともある大帝国でありました。 その規模と完成された美しさで知られるアンコール・ワット以外にも、数百を超える宗教 施設が王国全土に造られてい ました。 現在のシェムリアップ地域に その跡を残す王都は大農業王国 の都であると同時に、王国内で ン 最も豊かな水の都でもありました。 日本にたとえてみると、平城京 の造営された大和盆地にあたる のがシェムリアップ地域で、現 在の東京23区にも匹敵する広 大な規模でありました。シェムリ アップ地域には数百を超える大

ベンメリア遺跡
皆様こんにちは。初めまして、私はカンボジア日本語のガイドブンキァンと申します。毎日カンボジア旅行に来た日本人の皆様を案内しております。今回はシェムリアップ町から東北へ約62km車の1時間半ぐらいに天空の城ラピュタのモデルと言われるベンメリア遺跡であるのを紹介致します。ベンメリアはヒンドゥー教寺院です。この遺跡はアンコールワット建造前の11世紀末から12世紀初頭までに平面展開型の寺院構成で作られたとされます。創建年代を明らかにする碑文はありません。この寺院の規模は少し小さいですが、アンコールワットと類似点が多く 東のアンコールと呼ばれます。往時この地はこれら東西の大 寺院、 北西のクーレン山、 北東 のコー・ケーへ向かう交通の要 衝として繁栄しました。クーレン山南東の採掘場に 近く、 良質な砂岩でていねいに 造営されたベン・メリアは「花 束の池」という意味をもち、三 重の回廊、 十字型の中庭などの 伽藍配置をとります。 環濠の幅約 45m、 周囲約4.2km と規模は少 がらんし小さいです。東参道が大規模な貯水池に延び る配置形式や細部装飾などをア ンコールワットと比べてみる とおもしろいです。遺跡は深い森の中に埋もれて おり、崩壊が進んでいるため歩 ける範囲も限られています。 苔む した屋根の上を歩き、 光の届か ない回廊の中をたどる場所もあ り、 探検気分が味わえるととも に、遺跡発見当時の姿を目のあ

アンコールワット朝日鑑賞、アンコールワット、アンコールトム、タ・プローム遺跡、ベンメリア遺跡、プノンバケン山夕日鑑賞観光ツアー
2024年8月14日に日本から来た一人日本人をアンコールワット朝日鑑賞、アンコールワット、アンコールトム、タ・プローム遺跡、ベンメリア遺跡、プノンバケン山夕日鑑賞観光ツアー 詳しくはこちらへ

バイヨン遺跡
Click here 詳しくはこちらへ 皆様こんにちは。初めまして、私はカンボジア日本語ガイドブンキァンと申します。毎日カンボジア旅行に来た日本人の皆様を案内しております。今回はバイヨン遺跡を紹介致します。 アンコール・トムの中心にあ るバイヨンは、メール山(須弥 山) を象徴化しています。 メール 山は古代インドの宇宙観による と神々の住む聖域で、 また神が 降臨する場所でもありました。 この 宇宙観を正確に具現化すること が王の重要な使命でありました。 東 西南北に延びる幹線道路は、メール山から世界に向かう道を象 徴し、 城壁はヒマラヤの霊峰、 城壁を取り巻く環濠は大海を表 したものであります。 この宇宙観は 解釈の仕方によって微妙に変化 します。 大乗仏教に深く帰依して いたジャヤヴァルマン七世の宇 宙観ですが、アンコール・ワットで 表現された宇宙観と異なってい るのは当然のことであます。

アンコールトム
アンコールトムは12世紀後半にヤジャヴァルマン七世と言う王によって建てられました。一辺3km、ほぼ正方形のアンコールトムはクメール時代最大の都 城であったとされます。1177年、ベトナムの中央にあったチャンバ族により一時的に 王都は陥落しましたが、ジャヤバルマン7世の指揮のもと4年後には奪還 に成功しました。中心にあるバイヨン寺院、王宮からはまっすぐな道が伸 び、四方にある5つの大きな門へと続きます。周壁外には環濠があり、それ にかかる橋には神と悪魔が大蛇ヴァースキで綱引きをしている乳海攪 拌の様子があります。これは中心にあるバイヨン寺院が不老不死の薬ア ムリタを生み出したマンダラ山であると言うことを示しています。ちなみに アンコールは「都市」、トムは「大きい」を意味します。正式名称は「ヤ ショダラプラ」です。 詳しくはこちらへ